記事:栄養失調児が700万人のナイジェリア、最大の要因は「迷信」
上の記事は、ナイジェリア国内に700万人いる栄養失調児の最大の要因は「迷信」だと報じているものです。
『生まれたばかりの赤ちゃんには(母乳ではなく)悪霊をはらうための「聖水」が与えられる。
新生児にとって極めて重要とされる初乳は「有毒」とされ、誕生後丸々3日間母乳を与えないケースもあるという。
また、発熱や黄だんが見られる赤ちゃんには、薬草を調合したものを服用させる』。(記事引用)
この記事を読んで思い出した本があります。
「The Spirit Catches You and You Fall Down: A Hmong Child, Her American Doctors, and the Collision of Two Cultures」
Anne Fadiman著
大学院在学中に『multiculture (多文化)』のクラスで読んだ本ですが、アメリカに移民してきたミャオ族の家族の文化とアメリカ文化の狭間で起きた悲劇の実話です。
難治性てんかんをもつ少女Liaを、アメリカの医師は薬で治そうとする。
それに対し、ミャオ族のLiaの両親は、悪霊がLiaの魂を取ろうとしたからその「発作」が起きたと信じる。
医師たちが処方した薬を「毒」だと信じ、Liaに飲ませようとしない両親。
医師たちはその行為を「虐待」として通報。
Liaは両親から引き離され、里子に出されてしまう。
このことが、さらにLiaの病状を悪化させてしまう。 ・・・といった内容です。
アメリカの医師たちが「てんかん」と診断し、それに効く(はずの)薬を処方するという行為は、理論上、正しいものであることは間違いありません。
ただ、そういった正論を、それが正論だとは信じない両親にぶつけるだけでは問題の解決にはならないのです。
このことは、前述の記事にもあてはまるのではないでしょうか。
栄養価が高いとされる初乳を「毒」だと信じて飲ませないナイジェリアの母親たち。
それを「間違いだ」と断定し、無理やり飲ませようとしても、そういった「正論」はナイジェリアの親たちには浸透していかないだろうし、問題解決にもならないだろう、と思うのです。
これらは、極端な例ですが、多少の文化や考え方の違いは、日常的にもよくあることです。
たとえば、「子どもが幼いうちにテレビを見すぎることはよくない」ということ。
これが理論的に正しいことには間違いないのですが、子どもに長時間テレビを見せている親の考え方や生活背景などを理解しないことには、ただ「テレビは良くない」というだけでは、その親は子どもにテレビを長時間見せる生活を変えないでしょう。
それ以外にも、言語発達的には良いとされる方法があって、たとえそれが正論であるとしても、そうだとは思わない両親に「○○しなさい」と伝えるだけでは、それを日々の育児の中にその「方法」を取り入れることはきっとないだろうと思うのです。
共通していることは、まず、相手の文化や考え方を学び理解しようとしなければ、問題解決に向けて前にすすむことはできないということです。
英語で書かれた本ですが、読んでみる価値のある本です。
興味のある方はぜひどうぞ。